灘五郷とは
灘五郷とは、三大酒処(広島西条・京都伏見・兵庫灘五郷)のひとつで、タイトル通り、日本一の清酒生産量を誇る酒処です。兵庫県西宮市から神戸市にかけてのとても広い地域(灘)で5つのエリア(五郷)を合わせた名称を灘五郷といいます。5つのエリアは以下の通り
- 今津郷
- 西宮郷
- 魚崎郷
- 御影郷(みかげごう)
- 西郷(にしごう)
江戸時代に地元だけでなく、江戸でも人気になった灘のお酒。
六甲山系から生まれる上質な水。(宮水(みやみず)が有名な地下水です。名水百選に選ばれています。)「六甲のおいしい水」って昔から売られてますよね。
六甲おろしと呼ばれる六甲山系から海へと吹く冷たい風。
この2つの自然的要素が灘を酒造りに適した土壌。そして、良質な原料米が集まる兵庫津・大阪に近い立地、近くに港があってすぐに大容量の酒を運べる輸送ルートが確立しており、他の地域よりも全国デビューができたのできたのが日本一の酒処となった要因だと思われます。
戦争など時代の流れで翻弄されても踏ん張ってきた灘五郷。1995年に阪神淡路大震災をきっかけに廃業する酒蔵が続出しましたが、日本だけでなく世界にも灘のお酒を知っていただくためにPR活動を積極的に実行して、日本酒の再興を目指して今日も様々な取り組みをしています。
この記事で灘五郷の酒蔵のリストをアップしようと思ったのですが、20軒以上あるので別記事でアップしようと思います。こちらへ移動してください。
灘の生一本
灘酒研究会という団体があります。
この研究会は1917年に発足しました。灘五郷および近隣地区の酒造技術者が集まり、日本酒醸造の技術向上に取り組むのが目的としています。2011年から「灘の生一本」というイベントをしています。
「灘の生一本」ブランドは、灘五郷の醸造技術者(灘酒研究会)が英知を結集し、兵庫県産米のみを使用して醸し上げた純米酒です。参加各社の香りや味わいが一目でお分かり頂けるよう、酒質審査で認められた酒質表現のみをラベルに表示しており、各社の特長を飲み比べてお楽しみいただけます。
灘酒研究会ホームページより
通常、9月の上旬に販売開始します。(発売開始日は灘酒研究所のホームページにて確認してください。)灘五郷全酒蔵が参加するわけではありませんが、だいたい8軒の酒蔵が参加しています。(沢の鶴・白鹿・剣菱・櫻正宗・大関・白鶴・菊正宗・浜福鶴)これを目当てに酒蔵めぐりするのはいかがでしょうか。但し、剣菱は酒蔵見学・直営店はありませんのでご注意お願いします。
灘五郷がなかったら名門校はなかった?
関西の有名私立進学校に灘中学校・灘高等学校、甲陽学院中学校・甲陽学院高等学校という男子校があります。この2校の設立に尽力したのはいづれも灘五郷の醸造家たちだということはご存知でしょうか。
灘中学校・灘高等学校は、本嘉納家(菊正宗)、白嘉納家(白鶴)、山邑家(櫻正宗)によって創立された学校です。(本嘉納家は本家・白嘉納家は分家です。)初代校長は、嘉納家・白嘉納家の親戚で講道館の創設し、「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎氏がつとめている。
私があるテレビ番組で紹介されていたのは「酒蔵で働く丁稚(でっち)たちのために読み・書き・そろばんを教える場所を醸造家によって創ったのが灘中学校・灘高等学校の始まりです。」というものだったのですが、どこを調べてもこのエピソードが見つけられなかったので、真偽の程はわかりません。
丁稚とは
商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。職人のもとでは徒弟、弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった。明治時代以後はいわゆる近代的な商業使用人となっていく。
Wikipediaより
甲陽学院中学校・甲陽学院高等学校は、辰馬家(白鹿)の援助を得て創立した教育機関です。創立者は、関西教育者の第一人者の伊賀駒吉郎氏です。官立学校の型にはめた教育に不満を覚え、「自由な私学」を求め創立しました。2009年に高校入試枠を撤廃したので、完全な中高一貫校になりました。創立前から「自由・ハイカラ・ハイソ」という評判がありました。
ハイカラとは?
西洋風の身なりや生活様式をする様、人物、事物などを表す日本語の単語。
ハイソとは?
上流階級。社会的に上層に位置する階層から成る階級。
Wikipediaより
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